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大阪地方裁判所 平成11年(ワ)1907号 判決 1999年8月20日

原告

中野慎二

被告

株式会社ダイニンテック

右代表者代表取締役

大仁茂和

右訴訟代理人弁護士

市瀬義文

上原洋允

水田利裕

小杉茂雄

鍋本裕之

田中一郎

村上博一

田村康正

主文

一  被告は、原告に対し、一五万円を支払え

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを二〇分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告に対し、三〇〇万円を支払え。

第二  事案の概要

本件は、被告のもと従業員であった原告が、被告に在職中、前後三回にわたり、朝礼で公職選挙の立候補者の演説を聞かされたと主張して損害賠償を求めた事案である。

一  当事者間に争いがない事実

被告は、ミシンなどの機械部品を製造する会社であり、原告は、平成八年八月一六日から同一一年二月八日まで、被告に従業員として雇用され、製造部門に配属されて勤務してきた。

被告では、毎週月曜日、水曜日及び金曜日の始業前に従業員を集めて朝礼を行い、業務上の連絡等を行っている。

二  本件の争点

原告が、被告から朝礼で公職選挙立候補者の選挙演説を聞くことを強制されたか否か

三  争点に対する当事者の主張

1  原告の主張

(一) 被告は、平成八年一〇月一四日、月曜日の朝礼において、衆議院議員選挙立候補者Aに選挙演説をさせた。また、平成九年一一月一七日、月曜日の朝礼において、東大阪市長選挙立候補者Bに選挙演説をさせた。さらに、平成一〇年六月一五日、月曜日の朝礼において、衆議院議員Aによる紹介及び応援演説に続き、東大阪市長選挙立候補者C、同市議会議員選挙立候補者Dに選挙演説をさせた。

(二) 原告はこれらの朝礼に出席して、右各立候補者の選挙演説を聞かされたが、被告は、原告ら従業員にとって出席を拒否できない朝礼を利用することによって、原告らに右選挙演説を聞くことを強制したもので、これによって、原告は、選挙演説を聞くか否かを決定する政治的行動、言論の自由を侵害され、精神的苦痛を被った。

(三) 原告の右精神的苦痛を慰謝するには、聞かされた選挙演説一回につき各一〇〇万円、したがって合計三〇〇万円の慰謝料をもってするのが相当である。

よって、原告は、被告に対し、慰謝料三〇〇万円の支払を求める。

2  被告の主張

(一) 平成八年一〇月一四日、平成九年一一月一七日及び平成一〇年六月一五日の各朝礼において、それぞれ、原告が主張するA、B、C、Dによる、簡単な挨拶がなされたことは認めるが、選挙演説を行ったという点は否認する。

(二) 被告は、従業員に朝礼への出席を強制しておらず、欠席、遅刻、中途退席を認めている。

(三) 原告は、東大阪市の住民ではなく、その地方有権者団に属しないから同市の市長選や市議会議員選挙における選挙権の侵害はない。

第三  当裁判所の判断

1  証拠(甲一、二、乙一、証人菊地、原告本人)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実を認めることができる。

(一)  被告の本社では、毎週月曜日、水曜日及び金曜日の始業前に朝礼を行っているが、このうち、月曜日の朝礼は従業員全員を集合させての朝礼(以下「一般朝礼」という。)であり、水曜日及び金曜日の朝礼は各部署ごとの朝礼である。

一般朝礼は、始業開始五分前の午前七時五五分から、屋外の本社工場入口付近に従業員を集めて行われることとされているが、雨天の場合は、中止されるか、会場を食堂に変えて実施され、その場合には、社内のアナウンスで従業員に伝達される。一般朝礼には、パート従業員及び役員は出席せず、本社勤務の一般従業員約一一〇名のうち、夜勤や総務の従業員を除くほぼ全員(約一〇〇名程度)が出席している。一般朝礼では、部、課長クラスの役職者から、従業員に対し、一般的な業務上の連絡や訓示などがなされることが通例である。

(二)  平成八年一〇月一四日の月曜日、一般朝礼は食堂で行われたが、そのころは衆議院議員の選挙戦が行われていた時期であり、右一般朝礼の際、被告代表取締役の知り合いであり東大阪市の選挙区からの衆議員議員候補として立候補していたAが従業員に対して演説をした。

平成九年一一年一七日、月曜日の一般朝礼も食堂で行われたが、そのころは東大阪市の市長選挙戦が行われていた時期であり、右一般朝礼の際、市長候補として立候補していたBが従業員に対して演説をした。

また、平成一〇年六月一五日の月曜日は、屋外の本社工場入口付近で一般朝礼が行われたが、そのころは、東大阪市の市長選挙戦及び市議会議員の補欠選挙戦が行われている時期であった。右一般朝礼では、先の衆議員議員選挙で当選したAから、右市長選挙等において立候補した市長候補C、議員候補Dをよろしく願う等の演説に引き続き、Cから自己紹介や選挙での協力要請等の演説が、次いでDから同人らへの支持、支援を要請する等の演説がそれぞれ行われた。

原告は、これらの一般朝礼にいずれも出席していた。

なお、原告は東大阪市に居住していないため、同市の選挙においては、選挙権を有してなかった。

2  以上認定の事実に対して、被告は、Aらの行ったのは選挙演説ではなく、簡単な挨拶であると主張するが、平成一〇年六月一五日の一般朝礼で、A、C、Dがした発言内容が、何ら選挙と関係のない一般的な挨拶でないことは明らかであり、具体的な施政方針等を詳細に述べるものではないけれども、選挙に向けて、自己らへの支持支援を訴えるものであり、畢竟、当選に向けての働きかけであるから、いかに簡単なものであったとしても選挙演説というべきものである(もっとも、演説というか挨拶というかにかかわりなく、選挙に向けての働きかけがなされたことこそに意味があるというべきである)。

また、平成八年一〇月一四日、平成九年一一月一七日の一般朝礼におけるAやBがした発言の具体的な内容は明らかではないけれども、選挙戦の最中において、被告の業務に関係があるとも思われない立候補者Aらが単に一般的な挨拶を行ったに留まるとは到底考えられず、選挙に向けての支持を訴える発言がなされたであろうことは容易に推認できるところといわねばならない。

以上のとおりであるから、単に簡単な挨拶がなされたに過ぎないという被告の主張は採用できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

3  そこで、右認定事実によって判断するに、まず、被告は、朝礼への出席を強制しているものではないと主張する。

被告における朝礼が始業開始時刻前に開催されていることなどからして、具体的な業務命令として朝礼への出席が明示になされていたかには疑問なしとしないが、朝礼という性質からして出欠や中途退席が従業員各自の判断に委ねられていたとは考え難いし、そこでは一般的とはいえ通例として業務にかかわる連絡や訓示等がなされていたこと、パートの従業員は出席せず、他方、正規従業員は夜勤等を除くほぼ全員が出席していたことなどの実態からすると、少なくとも黙示には出席の指示がなされ、正規従業員には出席が義務づけられていたものと認めるのが相当である。

被告は、朝礼という場を通じて、出席した従業員に業務とは無関係な公職選挙立候補者の演説等を聞かせているが、その際、格別、出欠や中途退席は自由であること等を周知させるなどの措置を講じた形跡も認められず、従業員としては、朝礼の目的で集合させられているのであるから、朝礼に臨んで初めてこれらの演説等がなされると知った場合はもちろん、事前に知らされていたとしても、欠席したり中途退席したりすることは事実上困難であったというべきであり、そうすると、被告から、右のような選挙演説を聞くことを事実上強制されていたものというほかない。

これに関して、被告は、原告が選挙権を有していなかったことから選挙権侵害はないとも主張している。確かに、投票権を有しない原告については、当該選挙において、聞きたくない候補者の選挙演説を聞かされたからといって、そのことが直ちに選挙権の侵害になるとはいい難いところもあるが、原告の主張は、最終的には前記のとおり、政治的な行動、表現の自由のうちに含まれる選挙演説を聞くか否かという自己決定の自由の侵害を主張しているのであって、そのような権利を原告が有していることは疑いのないところである。

従って、被告が一般朝礼において、Aらに選挙演説をさせたことは、原告のかかる権利を侵害する不法行為に該当するものというべきであり、被告には、原告が被った精神的苦痛に対する損害賠償として慰謝料を支払う義務があると解する。

慰謝料の額は、演説の内容が短時間に終わる簡単なものであったこと等に照らすと、一回につき五万円、合計一五万円とするのが相当である。

よって、原告の請求は、一五万円の支払を求める限度で理由があるが、その余は理由がないので、主文のとおり判決する。

(裁判官・松尾嘉倫)

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